ほぼ寝たきり爺さんの家に毎日来て、オムツを替え、掃除をして、猫たちに餌をやっていたおじさんが、私の家を訪ねてきた。
「ねぇさん、爺さんが、死んだけの。1月4日んな。」
5日前。家の中でひっくり返って、うんこまみれになっていた爺さんを見つけて、救急車を呼んで、病院に行く途中に、救急車の中で心肺停止したと。
その爺さんには、刺青があったと、近所の人たちが言っていた。
「おいちゃん、お疲れ様。何年よ。おむつ替えたりとか、ようやったね。なんか世話になった人やったん?」
「爺さん、90歳やけの。8年、わしゃ、きよったけの。ただの友達よ。」
お爺さんには、家族というか、血縁の人はいたらしいが、おじさんが話をしたら、30年くらい関わってなかったらしい。
「おいさんが、毎日くるけ、腐る間もないけど、救急車の中で心肺停止って、よかったね。孤独死して、腐ってなくて。8年か・・・。おいちゃん、ようやったね」
「わしも、もうこんことなるけ、猫たちはどっかに散るやろう。」
「どうやろね・・・。おいさんだけやないんよ。隠れて餌やってる人結構ここいるから」
猫と関わりはじめて、猫も、子供も、爺さんも、婆さんも、みんな同じというか。生き物。意思がある生き物。そんなふうに思うようになった。
爺さんが倒れてても、子供が泣いていても、猫がお腹を空かせて鳴いていても、立ち止まる人は立ち止まり、手を差し伸べる人は、手を差し伸べるんだろうな。と。人間だから、猫だから、刺青があるから、知らない子供だから・・・。立ち止まるのか、見て見ぬ振りをするのか。手を差し伸べるのか。
「おいさん、爺さん、幸せやったね。腐らんで。孤独の中で死なんで。おいさんが世話に来てゴミも出すから、ゴミの中で死んで腐らなかったね。爺さんも猫を可愛がってたんでしょ」
「昔、1匹飼っとっての、その猫、死ぬ時に、手を噛まれて死んだんじゃと。苦しかったんやろうな」と笑いながら言った。
「おいちゃん、しろチョン、だけ連れて行ったら?なついてたじゃん」
「うちも猫がおるけ。喧嘩して怪我したら困るじゃろ。連れて行けん・・・」
おじさんは、これから猫たちとのお別れの心の準備や整理を徐々にするのだろう。
最近は寒いから、猫たちはほとんど見える所にいないようで、見ることがなかった。だけど、2日前に、おじいさんの家の前を通ったら、麻生がいた。その夕方、はたもんがいた。
その時、お爺さんはすでに亡くなってたんだな・・・。猫たちは、それを知っていて、そこに来たのだろうか。
わたしが、はたもんや麻生を避妊手術のために捕獲しようとしていた日、玄関から出てきたお爺さんを一度だけ見た。痩せた肩から、刺青があった。
「あ、明日、避妊手術するから、捕まえてるんです。手術したらここに戻しますから、大丈夫です。」と言ったら、家の中に入って行った。
「おいさん、爺さん死んだら、世話する人がおらんくなるけ、おいさん、ボケまっしぐらやね」
「うちの家内が脚が悪いけそっちの世話もある」
「そっか、じゃぁまだボケんね。じゃぁね。元気でね」