何から話せばいんだろ・・・。

私はとりあえず、この町の担当が決まらない野良猫たちのことから一旦手をひく事になった。

猫の保護活動をしている隣県の友人に借りていた捕獲器。ここの猫たちのことでは色々と相談に乗ってくれたり、協力をしてくれていた。なかなか互いのタイミングが合わず、SNSで彼女の猫の捕獲作業の投稿を見ていたので気になっていたので、その週末に返しに行った。

「しょうこさんは、悪いと思ってないの?」

私は、こうこうこういう流れで、って話すと、「無責任すぎる」と言われた。

「命のことだから」と言われた。

数日後メッセージを送った。

彼女からは今後関わらない方がいいと返信があった。

 

私は、肉体が生きていることより、肉体が生きているのに心が死んでいることの方が問題だと思ってる。肉体が生きているのに心が死んだり、殺された人たちが悩み苦しみ、多分自殺したりもする。

生きている。命のことは重々わかってる。だけど、鳥も、鶏も、豚も、牛も、魚も食べる。ウサギも、ナマズも、鯨すらも食べる。その動物と、猫の命の違いが私にはよく解らない。多分それは、その人との「関係性」で変わってくるのだと思う。

「あの豚と、この豚と、猫たちの命の違い」

命がある。生きている。その上で、どう生きるか、その人をどう尊重できるか。それは、犬でも、猫でも、子供でも大人でも、爺さんでも婆さんでも同じだったりする。私の場合は、死んだ人たちもそうだったりする。というのも、私は霊能者の家の娘で、私自身が亡くなった人たちとも普通に会話して暮らしていたりする。そんな私にとって、生きていることより、どう生きるか、どうその人、その存在の想いを尊重できるか。私と相手との妥協点を見つけながら何十年も生きてる。死んだ人たちは、「生きている」ことより、「どう生きるか」ということが大事だと気づくみたいで、いろんな想いを残していたりする。

そう。価値基準や物の見方、生き方、哲学が、多分、全く違う。だからこれは話をしてももっと拗れると思った。

私は、悪いことをしたとは思っていない。猫のことやっている時も、いいことをしたとも思っていない。助けたいとも思っていない。助けたとも思っていない。ただそんな巡り合わせと流れだった。あえて言えば、その猫がどうしたいのか、状況や気持ちを考えた上で私には何ができるのか、私には何が無理なのか。あくまで、私が軸であり、猫の為ではない。

そもそも、人の為、と書いたら「偽り」となる。全ては誰の為でもなく、私の為であり、誰かの為、猫の為、と自分以外の「為」と思って行動したら、多分それは深く自分と正直に向き合ったら「偽り」と・・・気づく。

それと、人は自分が正しいと思っていたら、思い込んでいたら、それは自動的に自分以外のものに「悪」を作り出す。それぞれの事情、それぞれの宗教、それぞれの国、時代、場所、それぞれで正しいの基準は違ってくると思う。第二次世界大戦や朝鮮戦争に関することをずっと調べたり、そう言った関係の人たちと出会い関わったりしてきた私にとって、その人が思っている「正しさ」や「正義」は非常に偏ったもので、時としてとても暴力的だとも思った。でも、その根底には、多くの場合、深く傷ついた心があった。

スピリチュアルや感情のことを生業としている私にとって、自分との深い対話は、最も大切な作業だった。私自身が、親や家族との関係でとても深く傷ついてきた人で、そのままの私は愛されず、困った存在として扱われてきた者は、自分がどうして受け入れられないのか、愛されないのかが理解できず、それを受け入れられず、愛されるには正しくなければいけない、正しいと愛される、理解される、はずと思って・・・きた。

正しさを盾にし、正しさを鉾にする。そうして生きてきた。だから、「誰かが悪い」と自分の正しさや正義を押してくる人は、傷ついた人なんだと思う。傷ついた人、痛みがある人は、自分の痛みを守るために、誰かを傷つける、可能性がとても高い。

そして、その人の価値基準や正義に合わないものは、いつかその人にとっての悪者にされる、可能性が高かったりする。そんなその人をそのまま丸ごと愛せないのなら、離れた方がいいと私は思ってる。

一緒に、この町で猫と関わってるゆかさんに、最初の頃に言ったのは、

「いいことをしているように見られたり、思われたりするかもしれないけど、自分が良いことをしていると思ったらダメよ。そう思ったらそこで終わり」

良いことも、悪いことも、ない。

ただ、そんな巡り合わせで、経験させてもらってるだけ。経験しているだけ。

経験することは豊かになること。魂に刻まれるからね。

 

友人を無くすことは、悲しい。とはいえ、私は、「悪い」と言われる、ジャッジされることを受け入れられない。だから、もう友達はできない。

リラのことを相談して、S井さんの猫たちの痩せていく姿をSNSで見て、「助けに行くから、迎えにいくから、それまで餌をあげてほしい」といい、私は何時間もS井さんの家のところに立ち、猫に餌をあげている理由を頭を下げて説明、言い訳した。そこから始まった、猫たちとの関係。

わかっていることは、深い部分での価値観が違う。「命」が大切というのなら、互いの「命」の意味が違いすぎた。誰が悪いわけでもなく、仕方がないこと。お互いに考えがあるのだから。

大切な出会いと経験だったとつくづく思う。ありがとう。

 

どうしたらいいか解らない時には、とりあえず、寝よう。

寝ると、頭が整理されるからね。