協力してくださっていた町内の方々も、町内会長の奥さんとのやりとりもあり、私の生活も経済的に危ないので、もう関わるなと。野良なんだから、野良として生きる力を身につけさせるには、もう手を出してはいけないと。麻生子と麻生美は麻生のところに帰した。

その2日後、私の家の前で麻生美が、鳴いていた。目を見ると、「助けて」と言われてる気がした。

風邪なのか、目やにや、鼻水がひどく、衰弱してる。一旦、保護をして、ケージに入れた。私の家は、古民家で寒い。隙間風がひどく、暖房は無駄に電気代を使うだけなので、薪ストーブにしているが手がかかるし、目が離せないので、あまり使わない。家の中では着込むようにしている。電気敷布と湯たんぽを入れた。リラの膀胱炎でもらった数種の抗生剤をネットで調べて、いけそうなのを選んで、砕いて飲ませた。

2日後、麻生子も気になってみに行くと、息が苦しそうだった。麻生を置いて、麻生子を抱えて連れて帰った。麻生美は少し元気になりかけていたけど、麻生子はかなり苦しそうだった。

「あ・・・こうやって、子猫は冬を越せずに死ぬんだな」と思った。

自然淘汰だ。野良だから。といっても、知らぬ顔はできない。とはいえ、一人暮らしの私にはリラとヴェガの餌担当だけで、本当に手一杯で、この半年の間に猫のことで手一杯すぎて、仕事も閉店しなくちゃけいけなくなった。これからどうするか、という問題。。。猫どころじゃない・・・、私が潰れる・・・。

11月の最終日は、島根と広島に行かなくちゃいけなかった。

由佳さんにリラとヴェガの餌をお願いしてたけど、麻生子と麻生美もだし、ケージの中のトイレの世話も必要だ・・・。とりあえず、リラとヴェガに自動餌やり機を買った。けど、それをどうするか・・・。頼めばいいんだけど、それはとても苦手なんだ。

よく、猫の譲渡会で、一人暮らしはダメだとあるが、一人だと本当に難しいと思う。回復したとしても、私にはもう手一杯。

じゃぁ、この子達をどうするか・・・。今外に出せば、死ねって事だとは思う。元気になったとしても、子猫は冬を越すのは難しいらしい・・・だから、死ぬってことかもしれない。

この数ヶ月のことと、麻生家族の餌やり担当の検討をしてもらえないかと、近所にポスティングをした。

島根と広島は寝袋を持って行き、餌とトイレをゆかさんにお願いして、24時間で戻ってくることにした。車中で3時間ほど寝て、ほとんど休めずに車を走らせた・・・。途中、眠くて、何度か意識が飛んだんだ・・・。神様に祈った。事故なく無事に帰れますように、お守りください。って。

無事に戻ってきたよ。麻生子と麻生美も元気になったので、私の家の外に二重の小屋を作ってそこに移動させた。そうしたら、ウロウロちょろちょろするでしょ、リラの様子がおかしくなって、ずっと見張ってるし、飛びかかる。それでも、どうしようもないから、グッと我慢して、その光景を見ていた。

でもね、また、りらが血尿を出したの・・・。ストレスもあるんだと思う。ポスティングをした家からは連絡はない・・・。

みんな、いつかは、死ぬ。でも、できる事があって、やらないで、死なれたら・・・。

でも、誰が良いとか、悪いとかじゃなく、社会とか、人間の関係も、そんなものなのかもしれない。

おばあさんが電車で立っていても、寝たふりをしてシルバーシートに座ってる人たち・・・。

妊婦さんのバッジをつけてたから、席を譲ったら、当たり前のように、私のことをちらっとも見ず座った女性。

満員電車でおばあさんに席を譲って、おばあさんが席を立つ時「どうぞ」と私に席をくれようとしている隙に、スッと座った若い男性。

大きな、重たい荷物を持って階段を登っている女性を素通りする人々。

通勤時間の電車でスーツケースを持ってると、迷惑そうに見る人たち。

道に人が倒れていても、素通りする人たち。

小学校の教室で私が、蹴られていても、それを止める人はいなかった。

猫も、人も、お爺さんも、おばあさんも、子供も、大人も、あまり変わりない。ただ生きていて、関わってるだけ。

日本はいい国だと思うよ。でも、この国に帰ってくると、人々が心の扉を閉じてるって感じる。カーテンも閉めてて、見ないようにしてる。

猫を助けてるとかじゃなく、ただそこに、倒れてる人がいたら、、、素通りできるか・・・見てしまうと、素通りすると、多分罪悪感を持ってしまうし、責任がと言われるから、見ないようにする。

責任が・・・。

時々思うんだ。戦争で負けて、戦争責任を背負わされて、あの戦争に加担した日本が悪いと言われ。愛やおおらかさが、失われていった、時代があったんだろうな。と。

「責任」といって、責められて、それを任されて、誰かに任すことで自分たちを守るしかなくなったのかもとか・・・。

良い、悪いの二元性を作ることで、自分たちを守っているのかも・・・とか。

日本は、戦後、すごく、責められたからね。

私が、猫の保護活動をしている元友人に、「悪いと思っていないの?」「無責任すぎる」と言われたのも、多分、そういうことなんじゃないかと。思うことにした。

麻生子と麻生美が死んだとしても、それは、見てみぬふりをしたり、手を差し伸べなかった「人たち」みんなが少しずつ加担したというか。

誰か知らない人が、道で倒れていても、近所で孤独死していても、関わらなければ、関係がない。責任はない。

関わってしまったら、責任を持たされる。

誰が責任を持つのか・・・。しょわされるのか。

自分にそのボールが来ないように・・・。

「責任」のドッヂボール。

この半年、このまちで、猫と通じて、そんなことを考えたり・・・気づいた。