たった、4頭。という人もいるかもしれないけど、私、もう、かなりストレスとか、経済的とか、きついです。

猫好きでこの町の猫に関わるようになったわけじゃなく、S井さんが出ていき、残された猫の写真をSNSにアップしたら、猫の保護活動をしている友人が見ていられないとなり、保護に。

その時に、とても疑問に思ったのは、この町の問題を、別の町というか、隣県の人が、労力やお金を出して、片付ける。「片付ける」という言葉には猫愛護の人たちには語弊があるかもしれないけど、この町の人たちにとっては迷惑なゴミのようなものだったんだと思うのね。とはいえ、この半年状況を見ていると、隠れて餌をあげている人や、餌を撒いて行く人も結構いるんです。とはいえ、表面的には、迷惑なゴミというか、子供を産んだり、糞尿をしたりの生産性のある、自分たちではどうしようも出来ないゴミで、多分、どうしようも出来ないから、S井さんが悪い、無責任な餌やりが悪い、と、「誰かが悪い」というか、いかに関わらないか、それと、隠れて餌をあげるという風になってしまってる気がする。

8月に、避妊手術のことで、30軒くらいポスティングしたり、実際にベルを鳴らしてお話ししたけど、協力者は出てこなかった。それよりも、微妙な空気感になっていった。どう微妙かというと・・・挨拶しても聞こえないふりしたり、私を見て見ぬ振りしたり。

11月にも、麻生親子のことで4軒に相談的にポスティングをしたけど、連絡はない。

たった4頭だけど、リラとヴェガがもし避妊をしてなかったら、今、仕方ないから保護している麻生子と麻生美はオス。家の中だけでも爆発的に増えるんだろうね。

どうして、相談しなかったんだ、と言われるかもしれない。

してるから。

かなり相談してるし、町内会長の家にも行き、実際にベルを鳴らし、ポスティングもして、助けを求めてる。

1990年代くらいから学校で問題があると責任を追及するような、そんなニュースをよく目にするようになった。

2000年ごろ、高藤奈緒子さんって女性がイラクで人質になったでしょ。あの頃くらいから、日本で「自己責任」と言う言葉をとても耳にするようになった。その頃、ピアノを買おうと思ったのね、すると、調べてみると、ピアノの音が問題になってるという記事をたくさん見た。ピアノはどうも「迷惑」行為で、防音室を取り付けないといけないようだった。

1994年ごろかな。ニューヨークに住んでた頃、ピアノを買ったの。大家(ギリシャ人)が上に住んでて、「すいません、私のピアノの音、迷惑じゃないですか」というと、「いつも素敵なピアノが聞こえてるわよ」と笑顔で言ってくれた。その後引っ越したアパートでもピアノの音が問題になることはなかった。

「自己責任」とか「責任」とか。

私は、日本って、心に余裕や、大らかさがなく、なんて心が貧しくなってしまったんだろう、って思う。マザーテレサも日本に来た時にそういう感じのことを言ったらしい。

日本の孤独死の問題は、キューバの人には、理解ができないようだった。

関わることで、面倒なことになるというか、じゃぁ、誰が悪いんだ、となった時に、関わったその人の「自己責任」というのかもしれない。日本でマンションとかに住んでいると、隣にどんな人が住んでいるかすら知らない事がある。結構当たり前にある。きっと、隣の人が死んでいても気づかないと思う。

猫という生きた、生産性のあるゴミ。そのまま放置していると、どんどん増えるし、臭い。うるさい。そして彼らにも意思があって、語りかけてくる。耳を傾けたら、病気だからと手を出したら、手を出した人に責任が生じ、責められるのか。

保護派の人たちは一頭でも多くの猫が譲渡されることがいいという。それもわからないでも無いが、この半年、保護活動の人たちと関わって、「善」という「悪」というか、彼らが正しいとか、良いことと思っていることが、結果誰かを悪にする。

頭を下げて、やって貰えばいいという人もいるが、私は納得がいかないことに頭を下げることが非常に苦痛だ。子供の頃からそうだった、納得がいかない事に頭を下げたり、謝ることができなかった。

猫のことで経済的に苦しいんだったら、支援や援助を求めればいいと思う人もいると思う。

この町の猫の問題であり、お金を出したり、動くのは、この町の人たちなんじゃ無いかと。それが筋だと思うんだ。そして何よりも、どうして、私が、この町で何十年も、この町の人たちが迷惑だと言っている生きた生産性のあるゴミのことで、頭を下げなくてはいけないのか。

麻生子と麻生美をどうするか。そろそろ去勢をしなくちゃいけないんだけど、そのお金はどうするか。餌や薬、トイレ、色々とお金もかかってる。外に出したら戻ってくる。戻ってきたら、リラはピリピリして、ずっと見張ってる。ストレスからか、リラの血尿は治らない。仕方がないので、麻生子と麻生美をケージに閉じこめた。子猫なので3回餌を与え、5−6回うんちを取る。自分のことができない。収入をどうするのか。こうやって、私のケースも、崩壊するのかもしれない。

私は、この町の人たちに、猫のことで助けや協力を求めた。相談もしようとした。

多頭飼育崩壊や、孤独死、いじめも。それは、人間の社会の問題なんだろうなと思う。

小学校の教室で、蹴られてる私は、大きな声で、泣き叫んだ。それでも助けてくれる人はいなかった。関わることで、自分たちに矛先が向かないように・・・。

似たような人間の心理とか、社会の現象という気がする。