「私の母の時代なんて、大分でしょ、フグが獲れるから、フグの肝を捨ててたら猫が食べて死んでくれたって母が言ってたわ。そんな時代よ。」

友人は1950年代生まれ。今70代後半。だからお母さんは生きていたら、100歳超えてて、太平洋戦争経験してて、日本はとても貧しかったのも知ってる世代。

私は、1969年生れ。子供の頃から太平洋戦争は、おじいさん、おばあさんの時代の話。親戚や両親の知人の家に行くと、戦争に行った人の写真が飾ってあって、それはとてもとても遠い時代のことのようだった。

この年になると、原爆投下からたったの24年ほどで生まれてきてる。たった24年。だけど、時代も価値観も大きく違う。

猫のことに関わりだして、価値観や認識の違いを痛感する。猫は愛護動物で殺処分をほとんどしなくなったのは、ほんのこの数年。それまでは、保健所で殺してた。それが、多分、当たり前の野良猫の運命であり、扱い。

でも、もう少し前になると、その友人の母さんの時代になるとフグのが肝で殺してたんだって。今それをすると、愛護動物虐待で、犯罪で、下手したら新聞にも載る。

時代で色々と変わる。
だけど、根付いた認識を変えることは、簡単な人もいるかもだけど、そうじゃない人もいる。

この十数年、アメリカの映画やニュースを見ていると、時代が変わったなぁとすごく思う。アフリカ系アメリカ人とか、東洋系とか、白人と言われる人たちとか、映画の中で同じような扱いだったりする。黒人の人が白人の人の上司だったりもする。若い世代の設定ではなく、高齢であっても。

私がニューヨークに住んでいたのは1989年〜1999年。あの頃はまだ、異人種のカップル、特に白人と黒人のカップルを見たら、なんでだろー、何だろーって感じで、チラチラ見てしまったり、考えたりしてしまったり。でも、2010年以降にニューヨークに行ったら、普通に異人種のカップルがいっぱい。

映画のキャスティングも、人種間で差別が起きないようにとすごく気をつけてるのがわかる。それがかえって、不自然に感じられたり。でも、そうしないと、法律で面倒なことになるのだと思う。

法律はどんどん、時代とともに改正される。

今でも、人種差別はなくなってないし、根深いものだとも思う。でも今は逆差別の問題も深刻になってる。

私達は、認識した、染み込んだ、観念や常識を変えることは、非常に難しい。だから、猫は保健所で殺処分されるもの。それが当たり前だった。でも、時代が変わると、黒人も同じ権利があって、もし差別のようなことをすると、逆差別のように言われることもあり、みんな慎重だ。それでも、差別というか、区別というか、そういうものは結構残ってる。染み付いてる。

革命後のキューバは差別がないと言われる。
暮らしてみて感じたのは、社会的には無いと言えると感じたけど、個人たちの中にはまだまだ根深い。私は音楽家たちとの交流もあり、黒人というか、色の濃い人達とも付き合いがあった。音楽に関係のない白人の人たちは、時々私に言った。「黒い人には気をつけなさい。信用したらいけないよ」と。

ちなみに、キューバでは、私の身分証明書(学生証)には「白人」となっていた。多分、私は、キューバでは白人側に近い扱いだったのかもしれない。でも、アメリカでは確実に有色人種側だ。

もちろん、肌の色での差別をしない人たちもいる。

猫のことも、非常に難しい、センシティブなことだと感じることがある。
「時代が変わった」「法が変わった」と言葉で言っても、染み付いた概念はなかなか変わらない。

私はフランク・シナトラやグレン・ミラー、ドリス・デイやジュディ・ガーランドと言った、白人の音楽が好きでアメリカに行った。でも、私がとてもお世話になり、かわいがってもらったミュージシャンたちは、公民権運動以前にひどい差別を受けて生きてきた人たちだった。彼らと話したり、音楽を奏でていると、ふとした時に、肌の色が違うことが解らないというか、不思議に思えることがある。

多分だけど、「心でつながった」時なんだと思う。それを、不思議と感じるということは、
私こそ、私の中に黒人を差別するという概念が染み付いていたのかもしれない。差別というより、自分の暮らしの中に居ない種類の肌の色と人種だったから、よく解らなかった。解らないことは、怖かったりもする。

私は別に猫好きではない。なんでこんな事をやっているのか、よくわからない。だけど、その猫となにか信頼や絆のようなものができたりすると、その猫を可愛いと思い始める。猫に心があるのかはわからないけど、「心でつながった」というのかなぁ。

だから、というか。猫とつながったことがない人ほど、繋がってみてほしいと思う。そしたら、猫への概念や認識が変わるかもしれない。もうそうしないと、仕方がない時代なのかもしれない。そうしないと、動物愛護の人たちに逆差別というか、攻撃されるかもだ。法律も猫に味方してきている。

だから、じゃぁ、どうしたらいいのか。ってわからない。染みついた価値観や概念は簡単に変わらない。どっちかが「正しい」を主張すると、「正しくない」「悪」「間違い」などが自動に出来る。そう言っている限り、互いの価値観がぶつかり合い、解決はしないかもだ。

だから、そんなもんなんだと、人間たちを見ておくしかないのかもしれない。

いえいえ、私の中にもいろんな偏見や凝り固まった考えはあると思うよ。人間ってそんなもんでしょ。

今の時代、フグの肝庭に投げてて、猫が死んだら・・・。どういう扱いなんだろうね。虐待になるのかしら。わからないわね。でも、今の時代の子供たちにとっては、考えもしない恐ろしい話かもだわね。私もおどろいた。

育った時代が違うんだ。仕方がない事なんだと自分に言い聞かせる。


朝6時。玄関の前で私を待ってるリラとヴェガ。この町もフグ獲れるけど、肝を庭に捨てないでね。