最近、ポートレートモードで写真を撮ってみた。
「あら。わたし、けっこう、いい写真撮るんじゃない?」
なんて、思ってしまって、友人に送った。
「のら猫ちゃんは眼光鋭いね、ぽやとはしてられないからねえ!」
そうなんや。飼われている猫と違うんだ・・・。へー。と思った。
で、ふと。自分の事で思い出した。
1990年代、ニューヨークに住んでいた。時々2週間くらい、日本に帰ってくると、生きた心地がしないの。ここちというか、生きてる気がしないの。
ぶよぶよで、ぼーっとしてても、だいたい、絶対大丈夫。
だけど、ニューヨークに降りると、オーラというか、なにかをまとうの。神経とか、センサーを立ててる。んだけど、意識的じゃなく、自然とそうなるの。特に、後ろ、背中側とかも。
どこかで、緊張感をもっている。それを意識的にしてるんじゃなく、身についてるの。
そのセンサーというか、エネルギーの隙、ゆるさを、狙う人は解ってるんだと思う。で、道を歩いても、「あ、ここ、ちょっとやばいかも・・・」とか。でも、そう感じているのを悟られないように、そこを抜けるのよ。
「あ、この車両、やばい・・・、どうしよ」とか。しらーん顔して、車両移ったり。でも、動けない事もあって、「金出せ」とか言われたりね。
南米に行った時に、現地の人に言われた。日本から来た人と違うって。だから、大丈夫だって。
私はそう言う所にいると「生きてる」って感じるの。自分の中で「生」が際立つの。それは、多分、危ないとか、危険が近くにあると、「生」が際立つんじゃないかと。コントラストというか。危険だから、自分を「生きる為に」守ろうとする。そんなときに、私は「生きたい」んだって、実感する。
それに似た、緊張感を野良猫は持ってるような気がする。
その隙の無い、緊張感は、私から見た野良猫の魅力だったりする。
麻生怖いな。