昨日の避妊手術後。麻生はしっかり餌を食べたけど、黒イチとはたモンは全く食べなくてリリースするとどこかへ行った。

気になったので、今日は早目の時間におじいさんの家のところに行った。

麻生と麻生の子どもたちは元気そうだった。でも、黒イチとはたモンは見当たらなかった。他の猫達も昨日の異変を感じたのか、現れない猫たちがいた。

帰りに、近所の方が庭に出ていたので「こんにちは!」と声をかけた。

「昨日3匹捕まえて、病院に連れて行って避妊手術をしてここに戻しました」

「戻したの?連れて行ってくれたんじゃないの?」

「いいえ。今は保健所も連れて行ってくれないし、簡単に殺してくれません」

家に帰って、なんだか、嫌な気持ちになった。この前、説明をした紙をもってご挨拶に行ったときは、協力できることがあればと言ってくれて、あんなに感じが良かったのに・・・。

はっと思った。

その人は、私達が猫を捕獲して、連れて行ってくれるのだと思っていたんじゃないかと。

それは、この前書いた記事のように、時代や習慣、常識などの違うと、認識や考えが違う。紙に色々説明をしていても、染み付いた考えとか、習慣とかはなかなか変わらない。で、バイアスがかかる。だけど、それには本人はなかなか気付けない。

ブログを書き続けて、17年くらいになるだろうか。読者の方とお話をしてみると、その人のフィルターを通したものを理解していて、私の意図やメッセージの本質は伝わらない事がよくあることに気づいた。自分の経験と都合のフィルターで、受け取っている。

それがいいとか、悪いとかではなく、人間ってそんな感じのようだ。だから、100人が読んでくれて、3人が私の意図を理解してくれたらそれでばんばんざい。100人の中には拒絶する人もいるし、怒る人もいるかも知れない。それぞれがそれぞれの経験と知識と都合のフィルターをとおしてその人の中で処理をする。

こうやって不特定多数に向けて書くということは、どう受け止めるとか理解するかは、相手に委ねることなんだと思う。

 

人は、分からないことや、自分と意見が反することだと、それは怒りやらになったりとかもすることもある。

猫は連れて行かない。

保健所で簡単に殺さない。

避妊去勢をして、そこに戻して、その一代の生を地域で見守る。

まだ、それが当たり前として受け入れられていないのが現実のようだ。こんな事を書いている私も、猫の避妊去勢の意味も知らなかったし、TNRも知らなかった。