今朝も富士男さんは見つからなかった。

富士男さんのただれは、「傷じゃなくて、腫瘍が自壊したのかも・・・。」

昨日、ユキさんやそこ子供たちの捕獲をしてくれた方と話した。

猫の自然治癒力はすごくて、傷だったら治っているはずだと。あと、カリカリを食べてる動画を見て、口も痛いから柔らかいフードがいいと。

とにかく食べさせないと、富士男さんはすごく痩せた。

昨日も、今日も、富士男さんを探したけど見つからない。

その方は、あれだけ酷いと、かなり痛いと思うので、喧嘩も出来ない。どこかに隠れてると思うと。

 

富士男さんは見つからない。

だけど、見つかったとしても、その後、どうするのか・・・。

治療の為もしくは避妊去勢の手術の為に一度でも捕獲したら、そこに戻すしかない。でも、そこに戻さないでと、そのエリアの人は言う。

私は自分の家で猫の保護やお世話は出来ない。以前、ユキさんやネーラを数日預かったら気が狂いそうになった。

ほかの人が保護をする?

その人も手一杯で無理だし、ねこはちもいっぱいだと思う。

そして、何よりも、このエリアの事で、他のエリア、この場合は他県の人に任せる事。私はその事がとても苦しいんだ。この町の事で誰かに世話にならなくてはいけない、だからって私にもどうしようも出来ず・・・。情けない。悔しい。腹立たしい。

じゃぁ、富士男さんはどうするの?

見捨てるの?

そういわれると、罪悪感が襲ってくる。その罪悪感を無視しようとする。もしくは、跳ね除けようとして、口調が強くなる。

その「命」に何の意味があるのか、私には解らない。

その命と、豚や牛とは違うのか解らない

人間だって、自分(の心)を殺して生きてる人は、私には生きてるのか死んでるのか解らない。そういう人の自分を殺すことで生じた心の歪から出た膿の汁が飛んでこないように、私は出来るだけ離れるようにする。

今朝、おじいさんの家のそばで近所の人たちが私のほうを見ながら話してた。手には私が配った紙を持っていた。

猫の糞尿に迷惑をしているそうだった。不思議なもので、餌をあげてる人の家ではあまりしてないくて、こっちはどこでやっているのか知りたいくらいだったりする。

餌をやらなければ居なくなると思っているようだった。

オスは行動範囲も広く居なくなるけど、多くのメスは動かず残る事。ここの猫の9割はメスだという事。猫の繁殖率はかなり高い。そして、仔猫が生まれる。何頭かは車にはねられて死んだり、カラスに連れて行かれる。でも、何頭かは生き残って、育って、またここで子供を産む。

猫の糞や尿はなくならない。

誰かが悪い。猫が悪い。という声も多分なくならない。

その誰かは、いつか私になるかもしれない。

 ある人に私や猫の事を話したら、あまり関わらない方がいいと言われたらしい。

私も猫の事に関わらなくていいのなら、関わりたくない。

今のエリアは同じ町内だけど、私の家のエリアじゃない。でも、じゃぁ、どうしろっていうの?

ボランティアと言われる人たちが協力してくれて、避妊去勢の手術が無事終わったとしても、その後はどうなるの?

誰が餌をあげるの?誰が、この町の陰で言われるの?

ここの猫は、連れて行って、殺してもらえない。時代や法律が変わった。

「ここの猫を、どこか別のエリアに連れて行くと、動物遺棄で犯罪になります。私は出来ません。やるならそちらでやってください」

猫の事がこじれていくと、この家、この町を出ていく事になるかもしれないかもとか、よく、考えてる。古民家を安く借りて、DIYをして、野菜を作って暮らしている。資材や労力をいっぱい使った。この暮らしを気に入ってる。でも、長く住めないかもって・・・考える事がある。

べつに、それならそれで仕方ない。しかたない。私こそ、野良猫のような人だから。

どこで暮らそうが、きっとなんとかなる。今までもそうだったからね。ただ、年とってくると、体力と気力が落ちてきてる。だから、若い頃みたいにはできないな。