ある市議会議員が猫のことで一般質問というのをすると知り、先日この町の市議会議の傍聴に行ってきた。
ネット上で事前にアジェンダを見れるようになっていた。
括弧内の数字は、質問の答えで私のメモ。
(1) 令和6年度の犬猫殺処分数の推移
(2) 当市における野犬の状況
(3) 令和5年度の道路上で回収した猫の死体数(472)と猫に関する苦情件数(198)・内訳
(4) 令和5年度の犬猫収容数(犬55・猫114)と動物愛護団体への譲渡数(犬11・猫46)
(5) 多頭飼育崩壊の状況
(6) 地域猫活動についてどう考え、どう対応しているか
そんなたくさん、死んでるんだって、ちょっと驚いた。
新宿区での取組だっけか、事例で出てきていました。そもそも、市の経済規模が違うから、税の収入も違うだろう。とはいえ、私の住む市は、猫の避妊去勢手術の費用がとても高い。市で助成金をもらえたとしても、1-2万円くらいの手出しになるんだと思う。そうなると、隣県の野良猫専門のクリニックに連れていった方が、かなり安い。メスで1万円くらい、オスで5千円から。私はそういう隣県の情報をたまたま知ってるけど、知らない人が多いと思う。
「餌をやる前に、まず避妊去勢らしいですよ」と、餌をやっている人に言っても、「そんなお金はない!」と言われたことが何度かあります。
実際、私の住む市の人で、猫の保護を個人でやっている人は、市の助成金を使って避妊去勢手術をしていると言っていました。
「え、助成金もらっても、手出し多いでしょ。隣県の野良猫専門に行ったら、市の助成金は使えないけど、市の助成金もらって市内で手術するより、安くすむよ」というと、知らなかったようだった。
とはいえ、ネットで調べてみると、行政などのサポートで実質無料でできる市町村も結構ある。
首都圏、千葉、埼玉、東京の23区外に住む友人たち数人に、「え!お金かかるの!?」と言われた。
この日の一般質問で、何度か「無責任な餌やり」という言葉を聞いた。この言葉は、結構よく聞くが、ある意味、言葉だけが一人歩きしている感じがする。この言葉をサラッという人たちは、どうして「無責任な餌やり」が起きているのか、という、根本みたいなのを考えたり、よくしようとか、解決しようとかじゃなく、ここんとこ、私がよく書いている、「責任」という、日本ではよく使われる、言葉の無責任さを、感じる・・・。
「責任のドッチボール」と私は言ってる。
「無責任な餌やり」というのは、避妊去勢をしないとか、置き餌ををするとか、糞尿の始末をしないとか。らしい。
それぞれの市町村で、取り組みや、サポートの体制が全く違う。この町は、とてもお金がかかるんだ。だから、ただ知識がないのではなく、頭ではなんとなくわかっていても、どうしていいか分からず、でも、お腹を空かせた猫たちがいると、あげるんだと思うんだ。
起き餌とか、隠れた餌やりは、「無責任な餌やり」とか、餌をやる人が「悪い」という風潮、空気、圧力を作ってるから、うちの町はそう感じる、隠れてやったり、置いて逃げていくんじゃないかと。以前書いた記事。
で、糞尿は、ネットを見れば、地域猫のトイレの作り方というがあって、私も作ってみた。
難しかったのは、今までトイレをしていたところが、やっぱりトイレだから、新しいトイレを使ってもらえるように、調整していかなきゃいけなかった。餌場と、トイレと、居場所の関係性もあった。それでも、麻生一家はトイレを使ってくれるようになった。けど、その後、起き餌のことや、町内会長の奥さんとのやりとりで、移動していったので、そのトイレを使わなくなった。
言えることは、数回そこでトイレをしたら、そこが猫たちにとって、トイレになるから、その前にトイレを作ったほうがいいのかもと。そういう意味では、リラとヴェガはいまだにどこでトイレをしているのか分からない。裏の山とか、廃墟の周りかなぁ。
多分だけど、「無責任な餌やり」という言葉は、やっぱ、「責任」のドッチボールみたいな感じがする。
どうして、「無責任なえさやり」が起こるのか。
「責任」という言葉を使って、誰かが悪いってやってるように感じる。
誰も悪いと言われたくない。悪者にされたくない。だから、隠れるし、関わりたくないと思うんだと思う。